ショーペンハウエルの読書
読書とはなどと大上段に振りかざすと、とてもむづかしいことになってしまいます。
読むことをたのしんだり、そこから新しい知識をえたり、時には時間つぶしのために読書をしたりします。
ところがショーペンハウエルの「読書について」というエッセーにはこんなことが書いてあるそうです。
ショーペンハウエルとはデカルト、カントとともに著名な哲学者で、かつて学生たちは、その3人の名前をとった歌を歌ったものです。
デカンショー、デカンショーで半年暮らす
あとの半年やあ 寝て暮らす
ヨーイ ヨーイ デッカンショ
コンパでは大酒を飲んでがなり立てたものです。
そのショーペンハウエルの言葉です。
「読書とは自分で考える能力がないものがするものだ」
「読書とは人の頭で考えることだ」
さすがにすごいことを言うものです。
読書はすればするほど、誰かの考えをまねる、つまり剽窃することになるのだというのです。
この哲学者は読書を否定するのではなく、こうガツンとやっておいたあと、本当にためになる読書とはなにかを解いていくのです。
古典を読むこと、自分自身の思索を絶えず往復させながら読むことなどと。
以上は木村治美の『エッセーを書きたいあなたに』で述べているのを参照しました。
それにしても、読書は考える能力がないものがするものだとは強烈です。よく理解していない高名な哲学者がいっているのだから、そうかも知れぬと暗示にかかりそうです。
ところで私は漱石をさかんに読んでいますので、故に漱石の頭で考えているといいたいのですが、頭に残るのは私自身の数十年変わらぬ、あるいは低下したレベルの思考だけです。
しかし読書は本によっては刺激を与えてくれるもの、これだけは間違いないようです。